夢と臨死体験と現実
ジョディー・ロング著
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概要: 現在、研究者の中での正式な臨死体験(NDE)の定義は決まっていないものの、オランダのヴァン・ロモル博士によると臨死体験とは、特別な意識状態の時に起こった出来事の記憶、例えば幽体離脱、トンネルや光を見た、人生の回想をした、死去した人物に会ったなどです(ヴァン・ロメル, 2001)。 この最近のNDEの定義で重要なのは、“特別な意識状態”にあると言う事です。 p; そして臨死体験者と同じく未体験者の中でも一番頻繁に体験される“特別な意識状態”とは、夢です。 臨死体験の現実性を疑う体験者達は皆、夢ではなかったのかと考えます。 また、体験者の話を聞いた多くの人々は臨死体験の事をただの夢として片付けてしまいます。 それでも多くの臨死体験者達は自分達の体験を、起きている時よりも鮮明で現実味があったと証言しています。 様々な意識状態を理解するには、まず私たちの脳がどの様に情報を処理し、その記憶を引き出すのかを知る必要があります。

キーワード: 臨死体験(NDE)、夢、現実、意識

夢と臨死体験と現実 by ジョディー

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序論:


現在、研究者の中での正式な臨死体験(NDE)の定義は決まっていないものの、オランダのヴァン・ロモル博士によると臨死体験とは、特別な意識状態の時に起こった出来事の記憶、例えば幽体離脱、トンネルや光を見た、人生の回想をした、死去した人物に会ったなどです(ヴァン・ロメル, 2001)。 この最近のNDEの定義で重要なのは、“特別な意識状態”にあると言う事です。 ・nbsp; そして臨死体験者と同じく未体験者の中でも一番頻繁に体験される“特別な意識状態”とは、夢です。 臨死体験の現実性を疑う体験者達は皆、夢ではなかったのかと考えます。 また、体験者の話を聞いた多くの人々は臨死体験の事をただの夢として片付けてしまいます。・nbsp; それでも多くの臨死体験者達は自分達の体験を、起きている時よりも鮮明で現実味があったと証言しています。 様々な意識状態を理解するには、まず私たちの脳がどの様に情報を処理し、その記憶を引き出すのかを知る必要があります。

情報、記憶、そして回想:

最近の研究によると、普通私たちの脳は情報を感情と結びつけて記憶として処理し、脳の記憶中枢に保管します(オレンスタイン, 1991). この記憶を引き出す時、私達は“空白を埋める”ようにプログラムされています。 フルードも、記憶は感情を結びつける事で整理されている事を発見していました(p. 89)。 私たちの脳内の記憶は感情によって整理され、引き出されるのです。

引き出された記憶は脳によって再構築されます。 記憶はその持ち主にとって最も分かりやすく、客観的に見て理にかなった順序で引き出されます。 コンピューターのハードドライブの様に、私たちの脳は記憶という情報を感情によって整理された部分にアクセスする事で引き出すのです。 その記憶の情報はさらに別の様々な情報と結び付けられ、最も理にかなったストーリーとして繋がるように並び替えられます。 つまり、私たちの記憶の情報は一般的に言う“現実”という型に合わせて形を変えるのです。

最近の意識研究の中で、記憶は脳に保管されていないという仮説があります(ベルコビッチ, 2001)。 この仮説の研究の第一人者ベルコビッチによると、人間の脳の許容量では今の社会で生きていくための情報を全て収めるのは不可能だと言う事です。 研究者たちは脳は別の役割、つまり情報を保管する器官ではなく情報を受信するラジオの様な役割を持つ器官だと考えています。 実際に情報が保管されているのは別の場所であるというのです。

私たちが日常で持っている記憶は、無意識のうちに空白を埋めながら作られたものである為、100%正確ではありません。 しかし、臨死体験の特別な意識状態では、多くの人が自分の人生で起こった全ての出来事を100%以上回想したと証言しています。 自分の行動が周りの世界にどう影響したかなどという情報まで見えたと言います。 さらに、他人の感情までもを知る事ができたと言うのです。 この臨死体験中の意識状態での記憶から、ベルコビッチの提案している様に記憶は脳ではなく身体が無くなっても残る別の場所にあると推測できます。

記憶はその出来事に携わる感情などによって様々な情報とともに記録されます。 通常の状態と臨死体験の意識状態での記憶の記録のしかたは違いますが、引き出し方は同じです。 通常の状態で作られる記憶には身体の感覚が付いてきます。 この様な記憶は、身体の五感や感情などによって現実という型にはめられて記録されます。 つまり、私たちが日常で作る記憶は身体の感覚などに基づく、三次元の視点から記録されたものなのです。

それと違い臨死体験中の意識は身体的な感覚に縛られる事無く、無制限の感情や知覚を得ます(www.nderf.org, Long, 2003)。 臨死体験者は目で見るのとは違う、より鮮明な色彩や360度の視野, 地球上では説明できないような音、より豊かな感情などを体験しています。 これらの知覚は四次元やそれ以上の次元で体験されるものだと予想されます(ロング、ジョディー, 2002)。

数少ない 臨死体験と通常の意識状態の共通点のなかで一定なのが感情です (ロング・ジョディー, 2003)。 記憶の鮮明さはその時の感情の強さと関係があるようです。 感情が強ければ強いほど、人はその記憶を簡単に思い出せるものです。臨死体験の場合、体験する感情が強すぎて通常では稀な“フラッシュバルブ現象”を引き起こす事があります。 “フラッシュバルブ現象”とは記憶が閃光の様に脳に焼き付けられ、強い感情が落ち着いた後に思い出される現象です。

臨死体験の“フラッシュバルブ”的な記憶は肉体に戻ってからしか作れません。 しかし、臨死体験中と起きた後の記憶が一致すると言う事は、記憶が保管されている場所が同じだという事です。 臨死体験中、つまり肉体が死んでいる状態で記憶が脳に書き込まれる事は不可能です。 さらに、脳が活動してないにも関わらず、臨死体験中でも生前の記憶がはっきりと思い出せたという体験者がほとんどです。 つまりこれは、記憶が脳ではなく別の場所に保管されている可能性を示唆しています。臨死体験を良く覚えていない人は無意識のうちにその記憶を閉じ込めている可能性があります。 この脳の情報保管や防衛機能については後ほど説明します。

夢の定義:

夢と臨死体験の違いや類似点を検証するに当たって重要な概念を幾つか見て行きましょう。 夢とは、ある一定の睡眠状態で見る映像や発想などです(アメリカン・ヘリテージ辞書, 1978)。 夢の一般的な認識は、脳の潜在意識が起きている間に起こる現実を処理する過程で見るものであると言う事です。 さらに正式な定義は、身体が生きている時に起こる生態電気の無意識状態です(パゲル, 2001). 夢の映像は、知覚や認識、感情などから生まれる意識体験です(カーン & ホブソン, 1993)。 これら三つの要素から生み出された夢映像は自身の体験の記憶などと繋げられ、日常の現実や常識といった型に合わせられた形で現れます。 カール・ジャングは夢を無意識の集大成だと説明しています (グロッソ, 1984)。

夢の仕組み:

ほとんどの人が一晩に3~4回夢を見ます。 夢を見る時、脳は目が激しく運動するREM睡眠と言う状態になります。 この状態になると、脳は代謝に必要の無い体のすべての機能を抑える信号を発します。 夢状態の脳は、起きている時と変わらない活動状態にあります。 違うのは、夢状態では体の感覚が働いていないという事です。 このREM睡眠では脳の理性を司る部分は働いていません。 しかし本能を司る脳は、理性が抑えられているおかげでより活発になります。 この本能を司る部分こそが基本的な感情や勘などの働きをします。 つまり、理性や感覚などが抑えられ、本能の働きが強くなるため、夢はより象徴的で強い感情を伴う体験になるのです。人が夢を記憶するのは起きている時に作られる記憶と同じ原理で作られます。

アラン・ホブソンと ロバート・マッカ―リーは, 夢は脳の低い部分によって生み出されるREM睡眠の副産物ではないのかと推測しました(オレンスタイン, p.196)。 夢の特徴は、体がリラックス状態になるにつれて発生する一貫性のない映像を能が理解しようと働く事です。 すべての哺乳類がREM睡眠をするため、夢とは適応の一種だと考えられています。 起きている時に難しい仕事を覚えた人はその夜、REM睡眠の量が飛躍的に増えると言います。 REM睡眠は脳神経を刺激して、起きた時に脳が活発に働く準備をしているのです(p.197)。

ご覧の様に夢の定義には色々な側面があります。 臨死体験や超常現象、特別な意識状態の定義なども同じです。 まず体験自体を検証し、起きている時の通常状態の体験と比較し, 体験を論理的に分析して、ほかの人達に伝わる様に順序良く説明しなければなりません。

夢の種類:

夢には幾つかの種類があります。 その中の一つがオランダの精神科医のフレドリック・ヴァンエデンが1913年に定義した“明晰な夢”です (www.spiritweb.org)。 通常の夢と明晰な夢との主な違いは、通常の夢の中では本人が夢を見ているという認識がないが、明晰な夢の中では自分が夢を見ていると理解していることです(ギレスパイ, 1997)。 臨死体験研究団体(NDERF) のウェブサイトで実施されたアンケートの、“あなたの臨死体験は夢のようでした?”という質問に対し、臨死体験と明晰な夢の類似点を報告した体験者もいました。 これらの体験者たちはシャーマンやアメリカ先住民の宗教的行いなどとも比較していました。

日常の出来事を振り返ったり、情報を処理する様な夢は、このような脳の活動によって引き起こされるものなのでしょう。 しかし夢の中には、潜在意識の流れから生み出されるものもあり、これらの夢は臨死体験に近いものとなります。 ロンダ・スノウは明晰な夢と死後交信(ADC)の一環として体験される夢を比較するにあたって二種類の夢を説明しています:

"私が次の日によく覚えている夢には幾つかの共通点があります: 色があり、度合いは様々ですが明晰は部分があり、長期記憶になり、複数の感覚を伴うといったものです。 ADCの夢の特徴で研究が行われるほどの違いは: 飛躍的に強烈な体験であること...音や色がとてもはっきりしていること...そして感情的な要素です。 通常の夢は映画を見るようにあまり感情的ではなかったり、夢が終わった後も感情が続く様な事はありません。 しかしこれらの夢は感情に大きな影響を与えます...その後何日も続くような強い感情です" (エディンガー, 1984)。

この体験談は、グロッソの提唱した、夢と臨死体験は同じ原理で、同じ潜在意識の流れから生み出されるものであるという考えと一致します(1983, p.22)。

夢とNDE という研究で観察された重要な発見は、臨死体験は自分たちの体験の一部などを夢で見ることは無いという事です (ロング, ジョディー と ロング, ジェフリー, 2002)。 これは夢と臨死体験が別々の意識状態で起こるものだという有力な証拠です。 しかし、これまでに説明してきた明晰な夢と臨死体験の違いは、意識研究においておもしろい結果を生み出します。 例えば、明晰な夢をみている本人が夢を見ているという認識がある様に、臨死体験者も自分の体験が現実であったことを確信できるのではないかと言うことです。 意識と夢と臨死体験は、明晰な夢や幽体離脱などのメカニズムによって関係しているのかもしれません。 臨死体験中の幽体離脱の意識状態を理解するにはまだまだ研究が必要です。

夢の精神学的な見地:

夢を分析するにあたって, フルードは脳の凝縮という現象について話しています。 人は夢を見る時、感情やその時の精神状態によって記憶をつなげたり合わせたりします(ハーマン, E., 1996)。 これは最近の意識研究で提唱されている記憶は感情によって管理され、脳の感情を司る部分によってつなげられるという考えと同じです。 違うのは、記憶は出来事の事実や感覚によって空白を埋めるが、夢では感情によって結び付けられた人々や出来事によって一つのストーリーが構成されるということです。

夢が作り出される過程は、"本人の感情によって導き出される脈絡の無い記憶や想像などをつなげることによって、その感情が薄れて解消される“といったものです (ハーマン, E., 1996)。 このような感情の浄化は臨死体験の人生回想で見られるものと酷似しています。 これらの体験には感情が伴い、本人が行動パターンを変える判断をします。 ハーマンが行った重度のトラウマを体験した人々の研究では、"夢を見ている本人の強い感情が夢の過程を先導し、記憶の中からトラウマに関係するものを導き出す"という結果を出しています。

夢には物理的世界の束縛がないため、色々な思想が繋がり易く、想像力を働かせる役割もはたします。

"ジャックス・ハダマードがアインシュタインに数学をしている時の思考について聞いたところ、"イメージを合わせたり並べ替えたりして遊ぶことが有効な思考にとって最も重要である—ほかの人に伝える為の言葉を作り出す前に. . . . これらのイメージを苦心して考え. . . それらがいつでも引き出せるように確定させるのです"と答えました。 アインシュタインによると、これらのイメージのほとんどが、"視覚的なもので, なかには筋肉質なものである"そうです (ステイツ, B, 2000)。

性格の厚さ もしくは薄さ そしてその境界:

夢、臨死体験、そして現実がどのような主観的相互関係にあるのか、そのもうひとつの見方として個人の持つ境界の厚さや薄さがある。この境界の厚さ、薄さという概念は新しいものではない。アブラハム・マスローによると、個人の体験する超越的出来事の許容限度というのはその出来事を受け入れる体勢の許容範囲とその質によるものとされている(コッフル, p. 171)。マスローは厚い境界の持ち主、“抑制された人格者”、は極端な体験を遮断する傾向にあると見ています。ハーマンは境界をこのように説明しています:

"全ての意識的機能における分離や仕切りの度合い(厚さ)とそれに対する流動性や合併(薄さ)に関する性格の一面。とても厚い境界の持ち主は自分の知覚、思考、そして感情をとても明白に分け;時間と空間を整理し;物事を黒と白で考え;自我を明確に客観的に認知し;そして通常とても堅く、保身があり、頑固なこともある。薄い境界の持ち主はこの逆である:共感覚の体験; 思考と感情の混濁;明瞭な空想を多く体験し、現実との区別がなっていないこもあり;自己保身が低く;物事をグレイに考え;自己が確定されていなく;人間関係に必要以上のめり込む " (ハーマン, E., 1996).

従って、その人がより“厚い”もしくは堅いほど報告される夢は減る。一方“薄い”もしくは流動的な人ほど夢と現実が混合されている。

リチャード・コッフルによると、臨死体験者は死により近い者や非体験者よりも夢に対して寛容的である (コッフル, 1983). 臨死体験者はより多くの色や感覚の形態、不可思議な夢などを報告している。付け加えて、臨死体験者は夢を思い出す際により故意的であり、またその体験を役に立ったと振り返ることが多い。臨死体験者は個人的な瞑想に対しより強い感情、意味や良い結果を報告し、定期的な瞑想の予定や日数も多く見られ、日常生活に対する良い影響もより多く報告されている。これによりハーマンが上記した通り臨死体験者が思考の区別の薄い境界を持っている傾向にあるとするか、もしくは臨死体験そのものが臨死体験者の思考をより区別されずに混濁としたものにしたのではないか。

1979年、パルマーが夢、神秘的状況と超自然体験の関係を理解するための実験が行われた (コッフル, p.170) パルマーは夢を思い出すときの容易さや明晰夢を見易い傾向などは覚醒時の意識と無意識との意識的接触がどの程度可能かを表してい事を発見した(p. 171)." この研究の結論は、超自然現象と神秘的状態は覚醒時の無意識の有効性に習うとのことだった。さらに彼は理性が神秘的状態や超自然現象が覚醒時の脳へ到達しないように禁圧されている自我をさらに抑制していることを提案している。

これは我々の知っている意識と一貫したものである。オーンスタインによると、脳が生存機能の一部として緊急事態に対応できるようしているという(1991)。よって、物理的刺激から受け入れられたもののほとんどは潜在意識が受け持つ。哺乳動物の脳へと到達するのはその認識が本当に必要なものだけである。これにより脳の高等機能は入ってくる情報を篩いにかけられ、そのほとんどの情報が無視される。この研究はハーマンの境界の研究とも通じている。臨死体験、神秘的事態や超自然現象を体験したものは薄い境界を持っている。従って、厚い境界の持ち主は脳内でその存在が排除されるか無視されることでその確実性が認識されない。しかし、薄い境界の持ち主は他の人にできないことが見たり体験できることとなる。

Dr.ヴァン・ロメルは年齢が臨死体験者が死の体験をして帰ってくることに関係していると銘記している。がどの調査が使われているかのよって異なるが大人の場合5-12%の間とされている。Dr.メルヴィン・モース, 85% の死に掛けた子供が臨死体験をする。子供は典型的に自我が大人よりも未発達である為境界が薄い。従って、自我(己の認識)もしくは境界の厚さが臨死体験の情報に潜在意識から接触できるかが関わるのかもしれない。さらに、これは全てに人が臨死体験をしているにもかかわらず、境界の薄い者しかその体験を思い出すことができないだけなのかもしれない。これが確かな結論とされるにはさらなる調査が必要だ。

体験の解釈:

ドイツの概念"アムウェルト" は、種特有の宇宙では最終的現実は知覚者にとって相対的である、との意味を持つ(ステイツ, B, 2000)。現実に対する“正常な知覚”やより優れた見解が存在しない。ステイツは“人間が地球上で生きていく上で、種は己が知覚するものを現実として認識している。もし我々が異なった確率比の世界で生きていたら、私たちは図らずともその物差しを使い他の世界の可能性を測っているだろう。” 従って、人は実在しない感情や体験を持てないのである。それ故 “夢の中で起ころうと白昼の光の中であろうと体験の状態にとっては付随的でしかなく;その結果、体験外のどんな “清浄な”もしくは超越的な世界の現実も的を射ない。体験そのものがその世界での意味を持つ。” 皮肉にも、夢と現実を区別する為には物理的記憶として知っていることを引き合いにするしかないのだが。

“生き物にできるのは認識の領域内での再構築だけである。でなければ物理学者も数学者も、全ての生物が、限られた認識の領域内で生きている為、全ての生物がいつも惑わされているというしかない。スズメバチでさえ割と”理論的“にその問題と向き合っている。我々の“高い”知覚はスズメバチには解らない理論の心理を理解いているかもしれない、しかし妄想を当てはめるといのはスズメバチが自分に“何にかがおかしいぞ”と言い行動を遂行しないことになる。このスズメバチは夢を見ている人と同等の能力しかないのである:己の問題は自分流に何度でも、必要なだけ同じように解決していくしかないのだ。” (ステイツ, B., 2000)。

夢を思い出す際、その人は他人にも自分にも分かるように再構築しなければならない。この物語調の再構築は臨死体験中に行われたり、覚醒時の現実の出来事からも成り立つ。その文面は文字通り、特別な暗号からなる物質を他人に伝える為に繋ぎ合わせる作業なのである・nbsp; (キルロー, 2000). 夢や臨死体験の文というのは現実の体験外の出来事なので、他人にこの変えられた状況を伝えるのに苦労する人が多い。夢や臨死体験中の出来事を証明するのは困難だ“全ての知的な予想の為。” (フロイト, キルローより引用, 2000)

“我々はよる夢を見、日中それを解釈する方法を覚えた。 . . . 夢を解釈するにゆだねる時、その支離滅裂な内容や順序にはあまり我々の解釈の意味がないことに気付く。 . . . 夢の本質的な要素は夢の中での思考であり、これらには意味、繋がり、順序が存在する。 . . . 夢の要素は、凝縮されていることを除けば、変わらずに新しい順にもしくはそれまでとは関係のないものが先となっている。最後に、夢の中の出来事により変えられた夢の思考はそれからさらなる変化が待ち受けているということを付け加えなければならない。これは二次改訂として知られていて、夢の中の断片を繋ぎ無意味さを失くすため夢が新たな意味で置き換えているのである。 しかしこの二次改訂によりもたらされた新たな意味は夢の思考とは異なるものとなってしまっているのである。” (フロイト, 1950, pp. 118-119)

方法論:

夢、臨死体験、変えられた状態、現実の処理、そして意識調査の背景を持って、Near Death Experience Research Foundation (NDERF)に寄せられたウェブ調査結果に基づいて結論を導き出すこと。説明に応じた同意がウェブ・フォームの紹介と共にあり目的と共に指示も付随、提供された情報の利用法、情報守秘の保障、そして協力者は無償で協力することの確認。この質問事項は臨死体験者へその出来事を物語調で語ることを要求し、体験に関する50を越える人口統計、体験の要素、そして事後影響などの質問を尋ねた。650人の回答者のうち、318人(48.9%)が臨死体験の定義に当てはまった。調査目的のため、NDERF は臨死体験は“命が危機的状況下にあった時の肉体とはかけ離れた知覚的意識を伴った明確な体験”という定義を使っている。

分析されたのはもっとも適当とされる二つのアンケート質問: 1) “あなたの臨死体験時の意識レベルと警戒度は?”;と 2) “この体験で夢のような部分はありましたか?”

結果:

寄せられた318件の臨死体験から、307件(96.5%) が “あなたの臨死体験時の意識レベルと警戒度は?” の質問に答えた。多くの人がこれに対し死んでいたので意識レベルはゼロだったと答え、量的にこれはあまり良い質問ではなかった。しかし、 量的には回答は226件(73.6%) の質量で臨死体験者が覚醒下にあった、とても警戒していた、いつも以上に警戒していた、もしくは意識ははっきりあったと答えている。物語調の説明をした多くは完全に意識をなくした肉体と死により非常なまでの警戒態勢にあった意識体との違いが銘記されていた。

311人(97.7%)の臨死体験者が“この体験で夢のような部分はありましたか?”との質問に“はい”、“いいえ”、もしくは“わからない”と答えた。回答を返した体験者の中から192人(62.5%)が説明をした。質問の中には断定的答えに偏った傾向や誘導的なものも見られるが、目的が夢と臨死体験とをできる限りの情報から結びつくようなものを探し出すためであったとする。311人の回答の中から233人(74.9%)が“いいえ”と答え、74人(23.8%)が“はい”、そして4人(1.3) が“わからない”と答えた。協力者の115人(36.9%)が理由を答えずその中の99件(31.8%)が“いいえ”と、16件(5.1%)が“はい”と答えていた。

311件の回答の中から192件の回答が追加のコメントがあり、それらは夢とと臨死体験との類似、違いの手がかりとして解釈された。最多の部門であった68人の臨死体験者(21.9%) は夢のようにしている体験が実際に現実であったとて意義付けている。臨死体験者は現実を私たちの知っている地球上での観察や物理的知覚による用語を用いて説明する。その他の回答は臨死体験と夢を“強烈さ、鮮明さ、夢よりも強い”が23人(7.2%)、“現実が向こうにはあった”が21人(6.6%)、などの言葉で比較し、また15人(4.7%)が思い出すのが容易であると答えた。

各コメントはさらにその概念により分類された。また、一番の概念で97人(50.5%)の臨死体験者が臨死体験を現実とし夢と区別し、“とてもリアル、嘘ではない、真実が向こうにある、そこにいるかのよう、目覚めた気がした”などとコメントしている。臨死体験者58人(30.2%)が記憶の回想について、“強烈、鮮明、夢より強い感覚、思い出し易い、今起こったかのように思い出せる、明快、知識・理解のレベル”などのコメントがあった。夢に似た性質は49人(25.5%)の体験者から寄せられ“超現実的、通常の夢とは違う、奇怪、奇妙、ふわふわしてる、飛ぶ、夢のようだけどどこか違う、トンネルと拒否と白い光が夢のようだった、臨死体験が部分的に変形もしくは変えられた、初めは非現実的だったが後から変わった、視覚探求もしくは明晰無夢の要素があった”などのコメントがされていた

その他の夢と臨死体験の比較は次の通りです: 1) 感情8人(4.2%)、 “感覚や感情、より平安、恐怖はない”; 2) 知覚14人 (7.3%)、 “隣接していた、継続的、劇や映画を見てるよう、時間・空間のひずみ、出来事の誘導不可; 3) 肉体的知覚13人(6.8%)、”痛みや気持ち悪さは無い、身体を感じられない、色をみた; そして 4) 体験以前の枠組みが無い4人(2.1%), “幼すぎる、言いようがない

議論:

私がシアトルのIANDSミーティングに通い始めた頃一番衝撃を受けたのは臨死体験者達の体験談を聞いたときです。私はすぐに“コレは現実なのか?”と自問していました。この夢の調査は覚醒時の意識、現実、記憶、回想、話の再構成、そしてその体験を地球上の現実まで引き降ろすことを議論してきました。

ほとんどの臨死体験者が己の体験を夢のようではなかったと認識しているため、夢とはなんなのか、そして夢は臨死体験とどう違うのかを考慮しなければならなかった。73%以上の臨死体験者がその体験を夢のようではなかったといているが、ではどのようだったのか?

基本的に、臨死体験者は他の誰もが警戒態勢にあった時の出来事を回想するのと同じ手順をたどる。警戒態勢にいるかどうかはその記憶がどう地球上の現実と比較されるかで分かる。初めに、臨死体験者ができることはその体験に反応するだけだ。現実ではありえないような鮮明な体験を完全に状況に当てはめるまでは何日も何年もかかる可能性もある。脳が理解しようとしどうにか文章にできるまでに解析する。この文からさらに脳内では物語としてその個人に理解できるよう加工し、後に他の人にも紹介される。少なくとも私たちの知っている臨死体験者は体験を潜在意識を抜け、脳の論理的部分へと到達させるだけの熱心さは持ち合わせている。

後の回想のためには、潜在意識を抜け長期記憶へと記録されるほど鮮明ではない夢もあるのを知っている。その他の夢はあまりにも強烈で頻繁に思い出される。夢が鮮明であるほど思い出されやすく、体験者は夢らしからないと認識する・; これらは心霊的変化状況、神秘的状況、肉体外体験、もしくはその他の超自然体験とも貫通している。さらに、鮮明な夢は元は意識体からきれいるかもしくはあまりにも鮮明な記憶が意識の中に押し隠されていると考えられている。これが起こると、記憶は覚醒時の記憶と共に完遂され現実として知覚される。

臨死体験はその内容の現実味、強烈さ、回想の容易さ、そして物理的知覚によって説明される。このような特徴をもった夢も存在する。(www.oberf.org) 大多数の臨死体験は何らかの意味を持ち確実な順序もある。まるで夢を見ている途中で目覚ましがなるように通常、理論的物事の流れは邪魔されない。夢はより流動的であり、現実世界では存在しないような要素(浮くなど)の、継続していない関連性のないものとして説明される。夢の目的というのはその夢の感情なしには滅多に探せない。ほとんどの臨死体験者はその知覚レベルを異常なくらいの警戒体制や覚醒度でその体験を説明している。限定された夢の種類でしたこのような警戒態勢や覚醒度はみられない。これらはそのコメントである:

“現実味があって、夢のような浮遊感や出来事の間を飛び回るような感じがしなかった。” – ツァガリ

“私の想像力が作り上げることのできる何物とも違っていた” – ジェームズ

“こそ世界が夢のようで、もう一つの世界の方が自然だった” - J.C.

“まるで肉体をエネルギーとして離れるようで、自分の肉体が見れた:いえ、まるで個人的にそこへ行くような、まるでで週末旅行へ行くようだった”  - フランク

“夢のような部分は一つもなかった。私の知っている中で最もリアルだった” – クリスティーン

“身体的には意識がなかったけれど、それまでに感じた何よりも覚醒・意識していた。まるで汚れていた事を知らなかった窓がきれいに拭かれたみたいに" – シェイラ

日常的現実の中に臨死体験をうまく合わせるために、臨死体験者は厚く世界を区別して見る人よりも より柔軟な思考回路を示す。この思考回路は神秘的、そして変化交代の場合とも似ている。覚醒時の意識と潜在意識との境界の薄さは臨死体験によるものなのか、それとも臨死体験以前からあったものなのかを知ることができれば興味深いであろう。

臨死体験者の一部はその経験が他に表しようがないため夢のようだったと思った。また一部の臨死体験者はその体験のが現実かどうか疑いを持っていたため夢のようだと結論付けた。一人の臨死体験者は妻や親友の嘲りを避けるため夢のと呼んだ。 また興味深いのは、二人の子供がその体験を他の呼び方を知らないがために夢と呼んで育っていたということだ。大人になった現在、臨死体験というものを知ってからはその体験を夢ではなかったと定義している。

臨死体験での肉体外(OBE)での要素、通常浮いていたり飛んでいたりの自由な動作が行われる部分が臨死体験者にとって夢と類似しているとさせる。この様な体験後のコメントはこの体外での体験である浮遊や飛行を好ましいとするもので、夢と似ているとのことに焦点が集まっていた。通常見られた夢との類似点は、浮遊している時だけ自分をコントロールできないと感じた、もしくはある意味夢見心地な、全般的に超現実的な、または全てが奇怪で奇妙であった、などがある。・nbsp;

知覚は個人がその経験をどう分類するかに影響を与えている。自分を観察していたもの14人 (7.3%), スローモーションで見ていた、舞台や映画のように、もしくは人生の走馬灯を見ていたなどと証言した人はより夢に類似していると答えた。しかし、体験を継続した出来事であると分離した人は、初めは夢のようだったと言い、その後夢のようではなくなったと言っている。繰り返すが、これは、肉体外体験の部分は夢と類似され、その後一部は夢のようではなくなったとしていることを指示している。

肉体とその体験を結び付けていた臨死体験者はその体験を夢のようではなかっとしている。この人達は肉体を痛みを感じないことや、心臓が停止していることを認識してることにより、この体験が現実に起こったのだと認識した。しかし、1.9%の回答は視覚的要素が夢のようであると判断させ、そこで見た色や光が夢のようだったとしている。・; 体験の要素を感情と結び付けた8人(4.2%)はより夢に類似していると答える傾向があった。この人達は極度の愛や平安などといった感情をより強く夢と結び付けていた。

地球上での現実世界に基づいた、臨死体験、神秘的事態、そして主観的超自然現象の説明がされた。データを統計した後、この地球上での現実世界に縛られている限りこの体験の解釈を制限しているのではないかと自問せずにはいられない。ステイツが上記しているように、人間はその体験をとても“理論的”に扱い融合するが、現実をより高い位置から見てみるとほとんどの人が知らなかった真実を知ることができるかもしれない。そしてスズメバチのように、問題を違った形で解決できる者はそれを混濁させない。地球上での現実としてしか変換された意識の状態を見ることができない人もいる。彼らは繰り返し必要なだけ同じ方法でその現実を補強し確かめる。その他の薄い境界の持ち主はこのような体験を違った現実の知覚として受け入れることができる。どちらの方法で体験を分析していても関係はない、 “実験そのものがどの世界で行われているのかを推測しているのだから”(ステイツ, B., 2000).

夢と臨死体験の類似や違い、どう現実を処理しているかを見ていく上で、記憶とその呼び出し方は同じなのである。夢が覚えていられるほど鮮明であるとき、夢と臨死体験とは多くの類似点を共通しているようだ。データによると、臨死体験も夢も変換された意識状態であるとできる。 臨死体験によって、意識は肉体を凌駕し人生の中で造られる記憶もまたそうであると言える。

意識と潜在意識の間にはそれぞれ特有の境界がある。厚い境界の持ち主は分別がされていて、記憶を脳内の決まった場所へ確実に仕舞っていく。この人達にとって思い出すを言うのは乾いた義務的行為なのである。現実は地球上で感じられる出来事が裏づけとなっている。しかし、境界の薄い人は覚醒時に違う潜在意識と通じ合うことができるので、現実を違って解釈することができる。臨死体験者や夢を多く見る人は通常この薄い境界の持ち主とされる。現実とは色んな意識状況の組み合わせなのである。

興味心を掻き立てる概念は意識と潜在意識の間の境界が厚くしたり薄くしたりできるのかを判断している時に考えられる。私の考えは鳥が先か卵が先かの問題と同じジレンマを持っているかもしれない。たとえば、脳そのものを受信機とするならば、意識そのものが脳に限られたものを受信するように仕向けていることも可能だろうか?これは上から下の解釈にたどり着く。それともこれは遺伝で、脳の形そのものが受信できる意識の量を制限しているのか?これは下から上の解釈になる。もしくは脳と意識の両方向通行の為の特別なルールがあるのか?

異なる警戒意識下の体験の回想が脳の同じもしくは異なる部分で行われるのかを見るのも実りある調査かもしれない。 もし脳を受信・倉庫機関とするならば、意識に収納されている情報と繋がることのできる脳の部分を孤立させたら、脳を受信機として使わずに意識と接触することも可能かもしれない。この応用はアルツハイマー患者や頭部の損傷、昏睡状態の人に役立つかもしれない。

パルマーの研究は、大多数の人が意識へと合図が送られるように、潜在意識の敷居が低くなるように境界をリラックスさせ、薄くさせる為にトレーニングや再構築できると言える。この方向でのさらなる調査は身体どう意識と関わっているのか、その意識を高め、四つ目の次元を利用して生活をより便利にすることもできるだろう。圧倒的大多数の臨死体験者が説明する完全なる愛、平和、知識、そして優れた生態との一体感の世界との接触なら研究の価値は十分あるだろう



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