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デリーの臨死体験


体験の内容:

自動車事故で頭部に外傷を負い、呼吸停止により人工呼吸器を要するほどの瀕死の重体から昏睡状態に陥った後に臨死体験をしました。昏睡状態を脱した後でも、天国のようなあの世にいた時のことを鮮明に覚えています。

そこでは、すべてが明るい霧に包まれていました。どこもかしこも光に包まれ、光は私の体さえ通過していきました!自分の手を見ると、光が手を通り抜けていったのです!自分の手が透き通り透明であることに気が付きましたが、驚きはしませんでした。私が天人と歩いていると、彼の表情が言葉にできないほど輝いたのです。この天人こそがイエス・キリストであると私には分かりました。名前を言わなくとも、誰なのかがはっきりと分かりました。

私はイエス様と共に歩いていましたが、足を使って歩いていた訳ではありません。一番近い表現方法は、地面の上をすこし浮かんでいた、といったところでしょうか。そこにあるすべての物が白い光りを放ち、明るく輝く植物もありました。水もあり、明るく輝いていました。我々が歩いている庭園を流れる水があまりにもきれいだったので、私は水を汲もうと身をかがめました。手で水を汲もうとすると、水が手を通り抜けたにも関わらず、手は濡れてはいませんでした。私が水を飲もうと身をかがめているその姿をイエス様は足を止めて見ておられました。イエス様の視線を感じると、水を飲むことができなかったにも関わらず、のどの渇きは一瞬で失せました。水が私の手を通過したとき何かを感じたのですが、その感覚を言葉にすることはできません。その庭園にあるすべての物を体験したいという強い衝動に駆られました。天人と私との会話は、口頭ではありませんでしたが、お互いに意思の疎通ができるようでした。イエス様のお顔が輝きを増すと、私をどう思っているかが光で表現されるのでした。イエス様は私を心から愛してくださっているのでした。その時に感じた心の安らぎを表現することはできはしません。この世に戻り残りの人生を全うするか、天国でイエス様と一緒にいるかの選択肢が私に与えられました。もし自分や周りの人たちを助けることができるなら地上に戻りたいとイエス様に伝えましたが、この世に戻ってからの人生は困難に満ちたものになることを二人とも知っていました。障害で体も動かせず、話すこともできないようならば、私はこの世に戻ってきたくはないことをイエス様はご存知でした。彼の目を見つめると、そこには深い愛情が宿っており、私の心は嬉しさで満たされました。その時のことを書いている今でさえも、あの喜びがよみがえってきます。

うまく説明できませんが、病室で私の手を握り話しかけてくれる夫の姿が見えたのです。私は部屋にいるけれども、自分の目を通してその光景を見ているのではなく、別の場所から見ているようでした。もう一度夫と話しをすることができ、夫の助けになることができるのなら、この世に戻って夫との暮らしを続けたいと強く望みました。すると神様は私の望みを叶えてくださったのです。

次に覚えているのは、誰かが看護している自分の肉体へ戻った場面です。看護師達が私に触れると、彼女たちの考えていることが分かりました。私が生きるか、それとも死んでしまうと看護師たちが考えているのかを彼女達の手を通して感じ、患者の魂がもうそこにはない死体の世話をしていると思っているかどうかが私には分かりました。“ほら、私はまだ生きているの!”と叫ぼうとしたのを覚えています。看護師が私の魂がまだ肉体に宿っており、生きる望みがあると信じてくれていれば、安心してそんな彼女たちに身をゆだねることができるのでした。本当に人の心を読むことができたのです。

精霊となって天国のような世界にいる時は、テレパシーで会話をしました。みんなが私の気持ちを分かってくれなかったり、相手の考えが分からないと苛立ちを覚えてしまうことからも、言葉を発して会話をするのは実にやっかいなものなのです(そして、困難でもあります)。この世で言う“ソウルメイト”(一般的な恋愛関係の意味)とは、2つの魂が通じ合えることを意味しているのです。この魂と魂の対話を経験していない人にとっては信じることができなかったり、おとぎ話のように思われるかもしれませんが、魂のレベルで意思疎通をすることは、非常に有意義で、素晴らしいことなのです。

こちらが詳細版となります。

臨死体験の内容:

自動車事故で頭部に外傷を負い、呼吸停止により人工呼吸器を要するほどの瀕死の重体から昏睡状態に陥った後に臨死体験をしました。昏睡状態を脱した後でも、天国のようなあの世にいた時の臨死体験を鮮明に覚えています。そこでは、すべてが明るい霧に包まれていました。どこもかしこも光に包まれ、光は私の体さえ通過していきました!自分の手を見ると、光が手を通り抜けていったのです!自分の手が透き通り透明であることに気が付きましたが、驚きはしませんでした。私が天人と歩いていると、彼の表情が言葉にできないほど輝いたのです。この天人こそがイエス・キリストであると私には分かりました。名前を言わなくとも、誰なのかがはっきりと分かりました。私はイエス様と共に歩いていましたが、足を使って歩いていた訳ではありません。一番近い表現方法は、散歩していた庭の地面の上をすこし浮かんでいた、といったところでしょうか。

そこにあるすべての物が白い光りを放ち、明るく輝く植物もありました。水もあり、明るく輝いていました。我々が歩いている庭園を流れる水があまりにもきれいだったので、私は水を汲もうと身をかがめました。手で水を汲もうとすると、水が手を通り抜けたにも関わらず、手は濡れてはいませんでした。私が水を飲もうと身をかがめているその姿をイエス様は足を止めて見ておられました。イエス様の視線を感じると、水を飲むことができなかったにも関わらず、のどの渇きは一瞬で失せました。

水が私の手を通過したとき何かを感じたのですが、その感覚を言葉にすることはできません。その庭園にあるすべての物を体験したいという強い衝動に駆られました。天人と私との会話は、口頭ではありませんでしたが、お互いに意思の疎通ができるようでした。イエス様のお顔が輝きを増すと、私をどう思っているかが光で表現されるのでした。イエス様は私を心から愛してくださっているのでした。その時に感じた心の安らぎを表現することはできません。

この世に戻り残りの人生を全うするか、天国でイエス様と一緒にいるかの選択肢が私に与えられました。もし自分や周りの人たちを助けることができるなら地上に戻りたいとイエス様に伝えましたが、この世に戻ってからの人生は困難に満ちたものになることを二人とも知っていました。障害で体も動かせず、話もできないようならば、私はこの世に戻ってきたくはないことをイエス様はご存知でした。彼の目を見つめると、そこには深い愛情が宿っており、私の心は嬉しさで満たされました。その時のことを書いている今でさえも、あの喜びがよみがえってきます。

うまく説明できませんが、病室で私の手を握り話しかける夫の姿が見えました。私は部屋にいるけれども、自分の目を通してその景色を見ているのではなく、別の場所から見ているようでした。もう一度夫と話しをすることができ、夫の助けになることができるのなら、この世に戻って夫との暮らしを続けたいと強く望みました。すると神様は私の望みを叶えてくださったのです。次に覚えているのは、誰かが看護する自分の肉体へ戻った場面です。

看護師達が私に触れると、彼女たちの考えていることが分かりました。私が生きるか、それとも死んでしまうと看護師たちが考えているのかを彼女達の手を通じて感じ、患者の魂がもうそこにはない死体の世話をしていると思っているかどうかが私には分かりました。“ほら、私はまだ生きているの!”と叫ぼうとしたのを覚えています。看護師が私の魂がまだ肉体に宿っており、生きる望みがあると信じてくれていれば、安心してそんな彼女たちに身をゆだねることができるのでした。本当に人の心が読めたのです。精霊となって天国のような世界にいる時は、テレパシーで会話しました。イエス様とはそうやって会話をしたのです。とても簡単で、努力が要らず、考えるだけで思いが伝わるのです。言葉を発して会話をするのは実にやっかいで、歯がゆくもあり、時には誤解されたり、意図したことがうまく伝えられません。

この世で言う“ソウルメイト”(一般的な恋愛関係の意味)とは、2つの魂が通じ合えることを意味しているのです。魂のレベルで意思疎通を行えることは、非常に有意義で、素晴らしいことなのです。臨死体験をしてからこの能力を授かり、私の人生をより素晴らしいものにしてくれていると信じています。魂のレベルで人々と分かり合いたいと切に願っており、私にとってそれを実践できる方法の一つが“書くこと”なのです。魂のレベルでコミュニケーションをするには、心を落ち着かせる必要があります。自宅で書き物をしていると、何の邪魔も受けずに心を落ち着かせる時間が持てます。人は自ら思い描いたとおりの自分になるのです。些細なことでも気が散ってしまうため、気分を高揚させれくれるような場合を除いて、テレビはほとんど見ません。

今は、いろいろな音楽を聴きますが、特に霊験な音楽に惹かれます。臨死体験により私は変わり、正義を望み、悪を憎んでいます。不運にも事故により身体能力は今までどおりではなくなりましたが、霊的能力が開花したので、事故にあったことにとても感謝しています!昏睡状態から目を覚まして以来、心安らかでいられます。私がこの世に戻ってこれ、今でも生きているのは、霊界は実在し、そこは美しい場所であり、イエス様がおっしゃるとおり、彼が私たちの天界の親しき友であることを証言するためなのだと信じています。この知識や信念が、私の人生のあらゆる面に影響を与え、また、皆さんにこの真実を知って欲しいと願わせるのです。私の話を聞いてくださる方にこのことを伝えるべく、私は地上に戻ってきたのだと思っています。

27番目の質問でコピーアンドペーストしようとしたのですができなかったので、こちらでそうします。================                         

私自身のリハビリについて詳しくお伝えすることで、脳に障害を負った方のリハビリにお役に立てるのではないかと思いました。まず、私について少しお話させてください。私は正看護師で、事故当日、16歳になる息子が前回自動車運転の実技試験に落第したため、彼が初めての運転免許を取得できるように2度目の試験受験のために陸運局に連れて行ったのでした。陸運局から自宅までは息子に運転させ、そこからは買い与えた古いムスタングに乗り換え、息子は高校へ、私は予約のあった自宅療養患者のところへ行くことになっていました。私はラスベガスにある自宅療養専門の施設に勤務していました。あの日、私の人生は大きく変わってしまったのです。

息子が運転しながら自宅へ向かう途中に、4ウェイストップの交差点と思しきところまで来ました。一旦停止すると、その後に町はずれにある砂利採掘場方面から砂利を一杯に積んだトラックが向かってきました。息子のクリントはトラックは一旦停止してから進入するだろうと思っていましたが、2ウェイストップの交差点だったので、停止しなくてもよいことが分からなかったのでした。その通りは砂利を運ぶトラックのルートになっていましたが、息子が起こした事故以外にも何件か交差点の同じ場所で事故が発生したため、今ではルートが変更されています。ともかく、新車のChevy Prism(3週間前に購入)の運転手側にトラックが追突したとき、息子のクリントも私もシートベルトをしていませんでした。警察によると、もし息子がシートベルトを着用していたら圧死しており、私は無傷で済んだろうということでした。トラックは24mも私たちの車を引きずってから停止し、その後で車を切断して救助されたようです。私には事故が起きた時の記憶は全くありません。あの日の最後の記憶は、息子が私の車で運転の実技試験を受けている間、陸運局で息子のクリントを待ちながら携帯でホスピスの看護師の主任と話をしていた場面です。(私はホスピスから自宅へ戻った患者と、自宅ケアの患者両方を看ていました。)お分かりになる通り、当時は忙しく働いていました!

クリントは追突された衝撃で意識を失い、気胸を起こし、左側の肋骨にヒビが入り、鎖骨を骨折しました。息子は救急車の中で意識を取り戻したのを覚えているようです。私の場合はもっと重症で、現場と外傷センターへの搬送途中の両方で蘇生処置が取られ、外傷センターでは脳血栓(血液の凝結)の緊急手術と腹部の診査手術が行われました。職場にいた夫に事故が知らされ、私の勤務先2か所に連絡を入れてくれ、私が事故に遭ったので、代わりに別の誰かを患者のもとへ送るように伝えてくれました。勤務先二か所の看護師が私のいる病院に来て、私の診察カルテを見ると、私の症状があまりに深刻なため長くは生きられないことが分かりました。

ホスピス勤務の牧師がルター教会で私のために礼拝をおこない、看護師たちもそれに参加するように誘ってくれたことを後になって知ったのは、この礼拝の参加者が各自の名前と励ましの言葉を書き記した参加者一覧を後から受け取ったからでした。私が担当していた病棟の全員が同じ日に食事を抜いてまで私のために祈りを捧げてくれたのです。ユタ州にいる私の両親はモルモン教会関係者で、その日アメリカ西部の全教会で参加者に私の名前を祈祷リストに書いてもらってくれました。祈りには偉大な力があり、この地球上で物事を良い方向に運ぶ力があるのです!事故から3週間して最初に意識が戻った時に何を思い、何を感じたかを皆に尋ねられました。私が感じたのは、多くの人が私のことを想い、神に回復を祈ってくれたことへの強い感謝の念でした。神が持つ私への慈愛を感じたからこそ、天界の園でイエス様にお会いすることができたのだと思います。

天国の存在や、イエス様が体験されたこと、そして贖罪が本当であって欲しいとはもう願ったりしません。なぜなら、それが真実であると知っているからです!自分が5人の子供を産んで、その腕に抱くことができるのと同じ位明白な事実なのです。イエス様とのあの時の出会いを思い出すだけで、胸が熱くなります。イエス様の事を考えると、天界の園で私を見つめる彼のまなざしをはっきりと思い出すことができます。彼の瞳の中には私に対する愛情と思いやりが溢れ、そのことを考えるだけで、心躍ります。事故に遭って以来、感情が表に出やすくなり、精神的に未熟で子供じみていると思う人もいます。私の心は純粋で、思ったことを正直に口にしますが、人を傷つけるようなことは言ったことはありません。洞察力が養われたので、そのことで他人を驚かせたり、どう私と向き合えばよいのか分からない人もいます。

夫は私の良き理解者ですが、私の言動に時にはいい意味で驚かされています。昔は意見を言うことに遠慮がちだったのに、今はその率直さが素晴らしいと言ってくれます。今では毎日祈りを捧げ、誰と何について話せばよいか、誰が私の話を聞く気がないのか、不純な動機を持っているのは誰かなど、神の御霊がその答えを教えてくれます。私は患者回復ケアセンターで一月過ごすあいだに昏睡状態から脱しました。

その後、リハビリ専用の病院へ移り2日間過ごしました。そこで理学、言語、そして作業療法を毎日受けることになり、それらのセラピーが回復に必要だと夫に伝えましたが、平日夫は仕事があるため、私の両親がユタ州から来て看護の手伝いをしてくれることになりました。最終的に、私が自宅へ戻り、助けが必要な間だけ両親に滞在してもらい、在宅ケアに必要なセラピーを友人から受けることになりました。リハビリ(自宅周辺の散歩、エクササイズ、近所をセラピストと散歩しながらケガを負った側を使って発泡スチロールのボールをキャッチボール、左手にダンベルを握っての運動)のすべては、自宅で行われました。作業療法士が来るようになってからは、運動の難易度が上がっていきました。

記憶力や反射神経のエクササイズをたくさん行い、療法士が来ない日は、コールボタンを押しても誰も来てくれず、トイレに連れて行ってもらえないこともあったので、ベットで失禁してしまうぐらいならと、自分で家のことをしてリハビリに励みました。主寝室のジャグジーから出ると、毎朝のように父が痛む筋肉のマッサージを施してくれ、一緒に散歩に出かけたりしました。これらのことは、療法士が訪問してくれていたのと同時期に行っていたことです。

整体師である甥はラフリン在住ですが、彼のパートナーがここラスベガスで開業しているので、3か月ほど週3回ほど通い、最終的には週に1回で済むようになりました。1か月間両親に看護してもらった後は、自宅で自分の世話ができるほどになりました。教会の女友達が週の別々の日に一緒に散歩に出かけてくれました。自主的に私と散歩に出かけてくれるような、私のことを気にかけてくれる友人が今ではたくさんいます。今でもタイピングなど左手を繰り返し動かすと、左肩の甲骨の筋硬結が痛み、左手がけいれんを起こしてしまいます。

これは私が書いた詩の一つです。 ========================

神様が何とおっしゃるかなどは気にせず、祈りが聞き入れられることだけを信じ、ずっと待ちわびています。今朝、心を落ち着かせ、神の静かなる声に耳を傾けました。神様がどうされるかと思いを巡らすのは止めて、私にとって最善なことをしてくださると信じて身を委ねたのです。朝日が昇るのを見つめながら神の声が聞こえるのを待ちわびていると、薄暗い朝焼けの空にかすかな光を見たのです。バラ色の輝きが雲の切れ間から広がり、オレンジ色を帯びた金色の光の筋が、木々の上部の枝をそっと包み、茂みに達し、暗く冷たい地上へと届きました。暗黒が影を潜め、夜明け前の薄闇の中で祈りを捧げる私を照らし出すと、神と共にいるというバラ色に輝く暖かな愛情を感じました。朝日が昇るのを見つめながら、神の声を聞こうと私は心を落ち着けたのです。雲の切れ間から差し込む太陽の光を目にすると、私の魂は高揚しました!今朝、神の声を待ちわびながら静かに夜明けを感謝の気持ちで見つめると、厳かな気持ちに包まれました。素晴らしい一日を始めるのにもってこいではありませんか!待ちわびて(Waiting)…は、臨死体験をしてから書いた他人にお見せする最初の詩です。初期のリハビリでは助けが必要だったので一緒に散歩してくた教会の女友達の全員にこの詩を贈りました。この詩を贈ったのは1998年の母の日で、退院したのは1997年の11月のことです。

 

友よ、ありがとう

 

深い霧のなか                                                          

美しい庭を歩み、

我は主に語り掛ける。                          

           

主よ、

我を地上へ連れ戻し、

地上での試練を乗り越えさせ給え。                              

                 

主がお助けくださるならば、

待ち受けるどんな逆境や

誘惑にも立ち向かえるほど、

私は強くなれると。

すると、主は仰った。   

汝は孤独ではなく、

私の魂は汝と共にあり、

汝に勇気を与え、

忠実なる私の僕が

汝に手を差し伸べると。                         

    

主は仰った、

汝を憐み、

愛している。                                          

                     

そしていつか私のもとへ戻る

手助けをすると。              

          

その約束と

主を信じ、

意識を取り戻し、

我はこの世に戻る。                         

                

奇跡を信じて、

我は立ち向かう!                                     

                    

お言葉通り、

主の御霊は我と共にある。                     

                   

助けを求めよ、

さらば主の忠実なる僕が助けを与えられん。                             

               

神の僕よ、

神の御霊に忠誠を誓われたことに                           

感謝いたします。

主が我に与えた約束、そして主と交わした約束が

必ずや果たされるでしょう。

僕であるあなたこそが主の力の源であり、

主そのものなのです。

深い絆のなんと美しいことか!

友よ、ありがとう!

 

概要:

性別:    

体験時、命に関わる出来事がありましたか?    はい   事故      重度の頭部外傷を負い、呼吸停止により1-2週間ほど人工呼吸器を要しました

臨死体験詳細:

経験に影響を与えた可能性のある薬や薬はありますか?   いいえ 

経験はどのような点で夢のようでしたか?   体が透明になり、水が実際に自分の手を通り過ぎたり、テレパシーでコミュニケーションを取ることができました

意識が身体を離れる体験をしましたか?   体験中に一番意識がハッキリしていたのはどの場面ですか?     昏睡状態を抜け出してリハビリを続けるうちに徐々に体験についての記憶が蘇ってきました

思考が速まりましたか?時間の流れが速まった、または遅くなったりしましたか?   すべてが同時に起こっている様だった時間が止まる、または時間の概念がなくなる   天界の園に自分がおり、誰と話をしていたかが分かりました。また、病院のベットの上を浮遊しながら、私の肉体に話し掛ける夫の姿を見ていました

聴覚は正常からどのような点で異なりましたか?   いいえ  

超能力のように周囲の出来事が感じ取れましたか?   病室のベットで私の手を取り話しかける夫の姿を見たことを夫に伝えました。私が意識を失っている間、話しかける時は常に手を握ってくれていたと後から教えてくれました

トンネル、またはそれに近いものを通りましたか?   いいえ 

死去した(または生存している)人物に出会いましたか?     はい     生まれる前にイエス様にお会いしたことがあったのだと分かりました。生まれる前は、兄であるイエス様と天国で精霊として一緒に暮らしたことがあるのを思い出しました。自分は神の子であり、兄であるイエス様と天国で一緒にいたことを口にしなくともお互いに理解しました

地球のものとは思えない光を見ましたか?     はい  そこは光に満ちていました!植物や水が内側から輝いていました

地球以外の世界に行きましたか?    あきらかに地球とは違う世界・次

体験中どんな感情を経験しましたか?     愛情を注がれ、守られていると感じました。そして私の臨死体験を多くの人たちに知ってもらいたいです

すべてを悟りましたか?     宇宙のことを悟った   知らないことは何もありませんでした。イエス様が単なる信仰の存在ではなく、実在の人物であることを確信しました

過去の場面を回想しましたか?   以前は、人生回顧のことを話す心の準備ができていなかったので思い出せないと答えていましたが、今は思い出せると言えます。自分の人生をイエス様(私の立場から)と私(イエス様の立場から)が一緒に見たのです。実際に記憶が蘇り、良くも悪くも人生の重要な場面をもう一度体験するのは、素晴らしいものでした!私の重要な人生の場面を再び体験すると、私が取った行動にイエス様が悲しまれたり、喜ばれたりするのが感じ取れました。最初の体験が始まると、人生回顧では自分の恥ずかしい過去のこともさらけ出さなければならないことに気づきました。時には、人生回顧の話をするには、私や家族が恥ずかしい思いをすることもあるので、慎重にならなければいけませんが、以前よりも他人に自分のことを話すことに抵抗がなくなりました。臨死体験の最中、イエス様の魂は私が必要とする限り残りの人生で常に私と一緒にいてくださると約束してくださったのです。最初は、日々の生活でそんなことがあるはずもないと思っていましたが、実際にそうであったのです!だからこそ今では、前世や精神世界について堂々と話をすることができます。大変な時にイエス様の御霊がいつでも私を導いてくださっていると分かったからです。例:[人生回顧の話をするときは慎重にしています。オンラインで回答する時は慎重に、“(自信をもって)はい”、“人生回顧をしました”と答えています。神様が邪悪な者から私を守ってくれていると確信しています。私は今でも無邪気で、無垢なままですが、これからもそうありたいと願っています。私が誰と何について話すべきか、イエス様が正しい方向に導いてくださると信じています。

未来の映像が見えましたか?     いいえ    

境界線や壁・仕切りのようなものを見ましたか?     いい

境界線のようなところまで行きましたか?   超える事を許されなかった境界線;強制的に現世に戻された  

神、スピリチュアル、宗教:

 

その体験が原因で変わった価値観や信念はありますか?    はい    以前は宗教観について他人と話すことに躊躇していたのですが、今は自分の考えを伝えたいと思うようになりました

宗教以外の地球上での生活について:

体験後、どの様な変化があなたの人生にありましたか?   自分にとって何が大事なのかに変化がありました。今は以前よりも幸せで心穏やかです。イエス様が日々一緒にいてくださり導いてくださっていることを感じられるように、真剣にお祈りをしています

その体験が原因で変わった人間関係はありますか?     はい    教会の集まりでは私は皆に詩人として知られるようになり、子供や大人に人気の日曜学校の先生になったことから、今では頼まれて話をしたり、教える機会が増えました。このことは、頭部外傷のせいで話し方も不明瞭で、物が2つに見えることから誤解を生むことも多いことを考えると、驚きです。臨死体験前、教会では今と同じく8歳児を担当していました。活舌がよくないにも関わらず、今は素晴らしい教育者であると自信をもって言えます。それは、教会での教育に精一杯努力し、準備にたくさんの時間を費やしているからです。“天の啓示に従順に従うことで、私は主の手足となりたいのです。臨死体験以来、天界との特別なつながりを感じています”

臨死体験後

その体験は言葉では表しにくいですか?     はい     体験について思い出そうとすると、感情で胸が詰まって言葉にできなくなったものです

体験後、以前はなかった超能力などの特別な能力を得ましたか?     はい     他人が考えていることや、その人の心中を察したり、誰と会い、誰と会わないべきかがよく分かります

あなたの体験の中であなたにとって得に重要な出来事はありますか?    人生回顧の時に、イエス様の顔を見つめながら彼の心のうちを読み取ったときのことが一番重要です。私が昏睡状態にあり、生存の可能性が低いと看護師が考えていたのを読み取った時が一番つらかったです

体験の事を周りの人に話しましたか?     はい    

体験後、その体験の一部を再現するような出来事などはありましたか?     いいえ  

あなたの体験をより良く表現するために思いついた質問はありませんか?     タイピングしないでも済むように、解答欄で臨死体験をコピーペーストできるようにしてください