クーガーの臨死体験
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体験の内容:


驚愕! クーガー-イナナ 共通点

"私の三回目の臨死体験は熱と昏睡状態寸前になった事によって起こったものでした。それは地獄への旅でした。13年後、私は自分と体験が紀元前18世の神話に似ている事に気が付きました。私の地獄への旅行はイナナの紀行に驚ほど似ていたのです。以下が私とイナナの体験の20の共通点です: 

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1) イナナが天国の頂から地獄の底をのぞく場面。私は神聖な魔方陣から地獄を見ていました。

2) イナナは好奇心を持って生きていました。私も全ての真実を探求しています。

3) 牧師が彼女のために神に祈る。私の為に呪術医が天国に捧げた祈り。

4) 私達のため神聖な太鼓が演奏された。

5) 私たちが地獄へ旅立った後に行われた神聖な儀式。

6) 私たちは不死を身に纏って地獄へ入った。 

7) 二人とも金の指輪を握っていた。

8) 似た供述: 旅人が二度と帰らない地/ この旅を生き残る者は少ない。

9) 裸にされる。

10) 裸にならなくてはいけないと言う驚くべき地獄の法律。

11) エレシキガル, 地獄の女王。私の臨死体験では地獄のひいお爺様とひいお婆様の登場。

12) イナナは膝をついた/ 私は暗黒の不死身を与えてやると言われた時, "いいえ、結構です" と断り、気を失った。

13) 七人の裁判官がイナナに判決を言い渡した。私の体験の中の七人の裁判官は私を救ってくれなかった。

14) イナナは呪いを聞かされた。彼らは私に彼らの世界の創造と歴史を見せた。

15) 私たちは二人とも地獄の言葉によって病に犯され死んだ。

16) イナナの体はくぎに吊るされた。私の体は深い淵をまたぐ冷たい鉄の橋に吊るされた。

17) 私たちは誰も帰ることの無い場所から生き返った。

18) 地獄の門の前をハエの様に飛び回るためにエンキが創造した二つの存在。魔方陣の中で私の目の前で帰還を見届けていた二匹の蜂。

19) 二人の救いの存在は地獄で飲食することを禁じられていた。私も地獄での誘惑に耐えるために同じような規制を自分に課していた。

20) 私たち二人は悪魔をつれて帰還した。

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クーガーの三つの臨死体験

私は一つの表面的な体験と二つの深い体験をしました。私は天国にも地獄にも行き、自分の体験の二分法を解決しました。 最初の体験は私が11の時です。

私はブランコから落ち、強く背中を打って息が止まりました。私の横隔膜はショック状態になってしまいました。動けませんでした。なんて恐ろしい瞬間でしょう! 息を吸うこともできない。吐くことしか出来ないため、私は残り少ない息を溜めていました。私は死ぬ寸前でした。私はついにそれを受け入れ、力を抜きました。私はすべてにさよならを言いました。地球のすべてを私の後ろに感じました。目を動かすことしか出来ませんでした。すべてが生き生きとし始めました。木々の葉はより緑になり、空はより青く見えました。私はこれほど美しい自然を見たことはありませんでした。そして400年の歴史が地面から染み出てきました。私は年老いたネイティブ・アメリカンの鼻になりました。私はいとも簡単に木々の匂いで種類が判別できました。余所者がこの地に来て自分たちのものにしようとした、ネイティブと英国人の闘争の新しい見解を得ました。私は戦争ごっこをするのが好きでしたが、私が見た内戦の模様で命の尊さを覚えました (後で知った事なんですが、私のこの体験をした年は126マイル離れた場所で起こったアメリカ内戦の始まりの100周年にあたるそうです)。

私は地球から解放され、大気圏を彷徨いました。私は成熟した愛に囲まれているのを感じました。 親から感じた愛、祖母や祖父から受けた愛さえもを凌ぐ愛です。 私の頭の中に大丈夫だという声が響きました。私はそれに身を任せました。私は帰るのです! 急に空気の爆発が喉を通りました。私は体に戻っていました。おいしい空気が肺をいっぱいにし、私は生き返りました。

私の二つ目の臨死体験は1974年、わたしが24歳の時コロラド州に住んでいたころの事です。私は交通事故を暗示する予知夢を三回見ました。何故かは分かりませんでした。しかしそれを止めることは出来ませんでした。正面衝突でした。私の体は宙に舞い、バイクから投げ出され、私は自分の体から離れました。私の体が地面に叩きつけられるのが見えました。私の背中は二箇所にわたって骨折していました。

冷たいグレーの霧が私を包み、回転しながら光のトンネルとなり私を天国に導いていきました。私はだんだん強くなる愛を感じながら、どんどん大きくなるかすかな音を聞いていました。それはいずれ私を包む豊かな“フー”という音となりました。その音の中心は私の中にありました。その音の中から声が現れました。プロペラ飛行機が1千機並んでいるような、またはずっと鳴り響く雷鳴の様な音でした。私のことを息子のように愛してくれるひいお祖父ちゃんの声のようでした。私のすべてを理解している存在でした。私の失敗などさえも愛をもって語ってくれました。

その間、私は広大な土地を越え、山の頂上にある白く滑らかな神殿へ連れて行かれました。中は“フー”という音が鳴り響いていました。巨大な柱やアーチがドーム型の屋根まで伸びていました。これらは白い石のようなもので出来ているようでした。内側から光っていました。私は部屋へ連れられて、地球で眠りながらここで学んでいる人達について教えられました。私は本堂へ案内され、そこで教壇からあふれ出す光を見ました。光の中には複数の光の存在がいて、それぞれ光でつながっていました。七人でもあり、一人でもありました。この七つの神の顔が私が11歳の時の臨死体験を思い出させてくれました。懐かしくて、とても居心地がよかったです。七つの光の存在は同時に私の頭の中に直接話しかけてきました。私の頭を知識でいっぱいにしてくれました。彼らが話すと本堂が消え、彼らの言葉が周囲を巨大なスクリーンのように覆いました。 スクリーンと違うのは、私自身がその中にいて、すべてが生き生きしていた事です。

私は人類の未来を見せられました。それは最初から平和な未来ではありませんでした。あまりにも不穏で、見ていられませんでした。私はあまりにもナイーブで理想主義でした。私の純潔がだんだん奪われていきました。個人個人の飢餓や飢饉を見ました。戦争や痛み、利己的な騙し合い、戦場に横たわる数々の死体を見ました。“どうして世界はこんなにも残酷なのだろう?“と 私は思い、頭を抱えました。このような事を大きな視点から見るのはどこか優越感がありましたが、私は絶対にこのような事はできません。そして私にとって重要な分岐点が訪れました。私はカウボーイハットをかぶってライフルを持った男たちと草原を走る男性を見ました。まるで古いウェスタン映画の様に白黒の映像でした。私はこの男性の胸に赤い文字で書いてある“R.R.”という文字に目を惹かれました。“誰?” 私は声を使わずに言いました。声が答えました。“彼はいずれアメリカ合衆国の大統領になる男だよ”と。“ローイ・ロジャーズ?” 私は考えましたが, 意味が解からなかったので、長い間この体験を信じられずにいました。

天使が私に, “今あなたが見ているのはこの地球の向かっている未来ですが、あなたが変わろうとすれば未来は変わります。すべては繋がっていて、変化が必要なら個人的にも地球としても変わることが出来ます。” と言いました。私は西暦2000年以降を見て、それから自分の未来を見ました。自分の最後の時に何をしているのかを。とても元気で、幸せでした。体験当時は複雑な心境で、自分の見たものの意味が理解できませんでした。

滝のような激しい音が私の頭を走り抜けました。グレーの霧が戻ってきて、私は目を開けました。帰りは光のトンネルはありませんでした。救急車の中でした。頭の中のかすかな声が私に会いにくる約束をしていました。

六年後、1980年に元映画俳優のロナルド・レーガンが大統領に選ばれました。彼こそが私が見たカウボーイの格好をした“R.R.”だったのです。

1994年に“臨死体験者:ダン” の体験談を読みました。彼もまた、神殿の中で世界の未来を見せられたというのです。彼が1975年に見たのは、政治漫画に描かれた胸に“R.R.”と書かれたカウボーイ役者 でした。彼のはこの体験を私の体験の一年以内にしていたのです。驚きです! 私たちは同じ時期に同じような映像を見たのです。違ったのは、彼はロバート・レッドフォードだと思い、私はロイ・ロジャーズだと思った事だけです。すごい! 二人とも間違っていましたが、二人とも正解だったのです!これが偶然と呼べるでしょうか。これだけではありません!私たちは同じ年の一ヶ月以内に生まれ、同じ高校の同じ学年で卒業していたのです。偶然とは大きな視点からものが見えない時に使う都合のいい言葉でしかありません。

1987年、私がチェロキーインディアンの血を引く84歳のロバート爺さんの教えを受けていた時、突然病に倒れてしまいました。ロバート爺さんは私の病気をただの身体的なものではなく、神秘的な手ほどきだと言いました。 私の状態を見ているうちに、爺さんは心配になってきました。彼は何か強い力を感じ、 “あなたが今から行く場所では多くの人々が死に、戻ってきた者は気が狂ってしまう” と言いました。 私を安心させる言葉ではありませんでしたが、真実を伝えてくれたおかげで心の準備ができました。彼は、どこにも愛が見つからなかったらせめて愛する心は開いておいてください、私がその向こうで待っています、と言いました。彼は私に一人で神聖な魔方陣の中へ行き、自分の力で生き延びろと言いました。彼はその間に重要な儀式をすると言いました。

体の芯から震える寒さと汗をかく暑さの繰り返しで私は弱っていました。ふくろうが不気味に鳴いていました (ネイティブの間でふくろうは生を運ぶものとも、死の宣告者とも言われています)。私が最後に気を失ったのは、朝の7時でした。そして私は死にました。この体験については私の本、光の中の天使 にもっと詳しく記されていますが、ここではただ私が起きた時には地獄の淵に吊るされていたとだけ言いましょう。私は永遠に続く善と悪の戦いの最中に巻き込まれてしまったのです。悪が一時戦いを支配し、その悪夢のような栄光を私に見せ付けました。闇の曽祖父と闇の曾祖母が私に彼らの歪んだ世界の創造と歴史、そして存在の意味を見せました。私は彼らに選ばれた子供だったのです。彼らはその触手で私の細胞と魂をきつく締め付けました。聖書のお守りの言葉などここでは効きません: “私は死の影の谷を歩きますが...” ハッ! 何の冗談でしょうか? ここではまるっきり裸です。身を守るものなどなにもありません。剣も、 盾も、論理さえも、しがみつく愛など一滴たりともありません。 恐怖と絶望だけが毎日を支配しています。私が見つけられる唯一の希望と言えば、死を恐れないことぐらいでした。恐怖を覚えたら人間には耐えられない位の絶望が待っているからです。お分かりになったでしょうか?それでは次に進みましょう。

エターナルズ(永遠の存在)とロバーツ爺さんのおかげで私は奇跡的に正気に戻りました。私のこの体験が歴史的な神話規模だったと気づいたのはつい先週の事でした。私は紀元前7世紀のアッシリア人、イシュターの体験のごく一部を体験したにすぎませんでした。現在, 西暦2000年の9月イナナの地獄への旅という紀元前18世紀のシュメール神話の前文を発見しました。その神話の8っつの内容のうち、7つが私の体験と全く同じでした。私はこの目で見ましたし、さらに私は彼らが記すことを許されなかった会話を語ることができます。私は聖書のレボレーション10:4で禁止されている天国の会話を語る事も許されています。レボレーション10:4には、 “そして七つの雷鳴が轟いた時、私はそれを書き記そうとしたが、‘七つの雷鳴を心に閉ざし、書き記すこと無かれ’と言う声が聞こえました ”と記してあります。

当然私はこの話を広めたくてしょうがないのですが、近所や友人には口を閉ざしています。屋根の上で叫びたい!なのに私はここで、静かに私の話を書き留めています。研究者はみな私の体験後の変化を聞きます。まずは良かったことから:

私のIQが平均から優秀になったとても明確な記録があります。人生が変わるくらいの自覚や感覚の高ぶりを体験した人は、その影響が脳のIQと言う部分に変化をもたらす事があるようです。自分中心ではなく、より世界的な観点からものを見れるようになりました。

私は忍耐を与えられ、人の意識的な仮面や無意識の仮面を見抜く力を得ました。 また、意識を体から離す事や, 多少の癒しの力、心拍数を落とすこと、そして無心状態を保つことが出来るようになりました。私はより強く愛する力を与えられましたが、いまだに太陽の前にかざされた小さなろうそくのように無力だと感じています。天のすべてを包む愛は説明のしようがなく、何よりも強いのです。

悪影響は、あまりにも若い年で疎外感を感じてしまうことです。電球を破裂させる事や, いくつか並んだ街灯, 変圧器, 看板を破裂させること, テープレコーダーを止めること, 壊れたおもちゃを動かすことなどが出来るようになりました。意識を読むだけではなく, テレパシーも使えるようになりました (あの世では光の存在と、そして地球ではまわりの人と)。これらは悪影響ではないと言うかもしれません。思うだけで雲を分けることや, 必要な駐車場をすぐに探し当てることや、考えていた人から電話が掛かってくることや、人の話す言葉の最後を言い当てたり. . . 餌もないのに野鳥が肩にのってきたり…

確かに私の好きな猫がどこからともなく集まってきたりするととても素敵な気分になりますが、犬が嫌いだと言うだけで急に私の車の前に大きな黒い犬が飛び出してきてその身を車に叩き付けて死んだ日はとても暗くて憂鬱な気分になります(この犬の飼い主は私の20年来の友人で、その犬は普段そんな事をするような犬ではなかったと言います) . . .

他人の不安や恐怖を感じ取る事はその恐怖の源を探し出して解決するためには便利かもしれません。しかし私が怒りで感情が昂ぶった時に, 自分では言葉を抑えているつもりなのに強烈なテレパシーで相手の頭に直接罵声を浴びせてしまう事もあります。私はその人とまた話し合おうとしましたが、言葉に出していないはずの罵声のせいで聞いてもらえませんでした(彼女は絶対聞いたと言います...私の声に出していない言葉を)。

そこは車の多い道です。一分間に100台もの車が行き交います。あなたはその100台の中にまぎれた一台です。歩行者の一人の女性は横を通り過ぎる車を既に一つの流れとしか見ていません。あなたはその女性に近づくにつれだんだんと興味を惹かれますが、気付かれないようにしています。近くで見れば見るほど魅力的な女性です。目を逸らしたいが、逸らせません。あなたの車は特別うるさくも臭くもなにのに、彼女はわざわざ振り向いて、あなたの目をじっと見たのです! 彼女を追い越して、バックミラーで出来るだけ長く彼女を見ますが、彼女はほかの車には目もくれません。やっぱり悪影響じゃないじゃないかと思っていますね? 確実に注目を集めるいい方法だと。人気者になれるじゃないかと。ではもう少しお話しましょう:

言っている事とまったく違う他人の思考が聞こえてしまう。このレベルのテレパシーは人を狂わせます。多くの人はこの力を制御していますが、自分の意思でスイッチを入れたり切ったりすると、大きく力を削ることになります。しかし制御をしないと、さらに危険なレベルの力を解き明かしてしまいます: 他人の体を、その人の意思を乗り越えてコントロールする力。催眠術のように他人の協力を得たり、無意識に行動をコントロールするのとは違います。この世界には誰も知らないようなテレパシーの力が存在します。テレパシーで人を殺すことも! 多くの人々はこのような力の可能性を否定しますが。

我々はこの様な力を責任を持って、悪用せずに使えるでしょうか? 私は今の世の中でテレパシーは必要ないと考えています。それを受け入れる準備が出来ていません。今の世の中では悪用されるのが必然です。テレパシーでの暴力を裁く法律はありません。法律を超越しているのです。さらに、テレパシーはまったくの戯言と見ている人がほとんどである為、この力を求める少数の人々にとってあまりのも強い誘惑となってしまいます。その力の悪用を制御するのは、私たちには見えない法律だけ。そのため、その巨大な力を未熟なまま自由に乱用してしまうのです。

さて、そろそろもう一つお話をしましょう。テレパシーの力を甘く見たり安易に求めてはいけないと言うことは分かって頂いたと思います。私がまだ若かったころ、遠距離から人を殺す力があると言う二人の人の話を聞きました。彼らが払った代償はあまりにも大きいものでした。離婚、失業、体調を崩し、たくさんの後悔が残りました。当時私はこの話の現実性を疑っていました。しかし、もちろん彼らを問い詰めることはしませんでした。しかしある日、私はこの力の可能性を示す出来事の紛れもない目撃者となってしまったのです。

私の知人のポール(仮名) は26年前、妻と別れて離婚に向かっていました。ある日彼は私の家で冷静さを失い、心の痛みに嘆きながらトランス状態に陥りました。彼は何かに集中していて、周りには全く反応しませんでした。彼はテレパシーで妻の新しいボーイフレンド、ジョン(仮名)を探し当てました。ジョンは3丁ほど離れた場所で車に乗っていました。ポールは自分の怒りを暗い雲のようにジョンに蔽い被せました。ポールはジョンが妻の人生に入ってきたせいで一生のソウルメイトを失った気分だったのです。ジョンは、妻の話からするとポールよりも金持ちで、強く、頭が良く. . . そして妻にコカインを勧めたのです。彼は妻がもう抵抗できなくなるまで嘘をつき続けました。汚い手をつかってきたジョンにすべての怒りをぶつけてポールのストレスは解消されました。やっと落ち着きを取り戻したのです。その時ポールはやっと、どんな酷い事をされても自分の力でそれを裁くことは、それがいづれ自分の身に三倍で帰ってくる事になるんだという精神の決まりを思い出しました。ポールは自分からジョンの周りに多いかぶせていた怒りのヴェールを開放しました。しかしもう手遅れだったのか?

長年の付き合いでポールの妻は彼の周りで起こる不思議な出来事に少し慣れていました。その為、彼女はジョンの病院から離れたすぐ後にポールの玄関に立っていました。別れてから初めての再会でした。彼女はポールがジョンを嫌っているのを知っていましたしあまりにも不慮の事故だったので、彼がなにか関係していたと疑っていたのです。彼女に問い詰められて、苦悩と愛の混乱の中ポールは自分のしたことを認めました。ジョンは運良く一命を取り留めましたが、背骨を折って一生後遺症が残りました。ポールも、三日間歩くことも出来ないほど消耗していて、その間彼女に食事などの世話をしてもらうほどでした。その時ポールはやっと自分のしたことの重大さに気づきました。テレパシーを知的に理解するにはまだ多くの議論と研究が必要です。しかし真実には悲しみがあります。無垢で幸せな自分にはもう戻れません。

七つの光の存在は自分たちの予言通り1974年の臨死体験の三年後に訪れ、私を更に先に連れて行きました。私に夢の中や夢の間に現れて、私の意識を覚醒させていきました。彼らは一人づつ、それぞれ私に課せられる仕事を持って現れました。彼らに連れられ私は世界を回り、世界を超えました。彼らは私に宇宙を見せました。私は天国へ行き、これからの創造の計画やまだ造られぬ世界を見ました。彼らは私を過去の人生の中に連れて行きました。それが複数の人生だったのか、それとも一つの過去だったかは分かりません。しかしこれは私にとって重要ではありません。重要なのは、私がその人生から多くの事を学んだと言う事です。私の本、光の中の天使 のなかにこれらの人生や天国の詳細が記されています。私は多くの人生をかけて学ぶ事を一瞬にして得たのです。

もう一つ、これらの過去の人生を体験したことによって人間の死を体験しました。これによって私は帰ってきた時に自分の不死を実感しました。肉体の死が人生の終わりではないのだと。これは多くの臨死体験者が報告する不死身の感覚と一致します。これは“考え”から、直接体験したことによって“知識”となりました。これこそが知識の礎です。

私は天使から一度、二つ目の十戒を与えられました。一つ目の十戒は“してはいけない事”ですが、二つ目の十戒は“しなくてはならない事”でした。二つ目の十戒は、基礎である最初の十を理解していないと意味を持ちません。これは聖書の教えではありません。精神的な事です。私はさらに、生前の世界で有名だった人々の次の世界での生活を見せられました。私がよく知っている人々の今の状態を計れるようにです。彼らの成長を見ることで人間の不死を確信するとともに、死んだ後だからと言って楽に生活出来る訳ではないと言うことを知らされました。まだまだ責任や仕事はあるけど、もちろん楽しいことや公平さも増えるのです!!

天使たちは私に世界は繋がっている事, 人生の全てが大切だという事, 私たちの中の愛を探すのは大変な仕事だという事, そして私たちはもっともっと愛を生み出さなければならない事を教えてくれました。なぜなら、私たちの愛は永遠の愛に比べたら、燃え盛る太陽の前にかざされたろうそくのように脆く儚いものだからです。

スピリットラブ, クーガー